田中 義忠(たなか よしただ)は、安土桃山時代の武将。徳川家康の家臣。

生涯

松平信忠・清康・広忠の三代に仕えた田中末広の次男。田中氏は三河国加茂郡菅生村の土豪で、最初藤原南家貞嗣流を称していたが、末広の父・義元の代に、里見田中氏の流れを汲む清和源氏義家流に改めた。田中姓は末広の祖父・胤道覚入道崇元が居地にちなんで初めて称したとされる。松平氏(親忠)には義元の代から仕えた。

当初は出家し、満性寺の勝玄の弟子となっていた。元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いで、兄・義綱が戦死すると、徳川家康の命により還俗して田中家の家督を継ぐ。天正3年(1575年)長篠の戦いでは先方衆として武田方武将の首級三つを挙げた。天正18年(1590年)徳川氏の関東移封後は武蔵国足立郡に領地を与えられ、後に家康が駿府に移るとそれに従って遠江国に領地を与えられた。元和元年(1615年)5月11日駿府にて没。

出典


写真家 田中義夫

田中義人会長のメッセージ。 今日もロケ日和 ライフワークス 名古屋映像製作日記

田中忠昭(タナカタダアキ)|政治家情報|選挙ドットコム

田中忠昭前横浜市会議員旭日小綬章受章記念祝賀会 « 中西けんじホームページ

竹中半兵衛と黒田官兵衛 嶋津義忠著 書籍 PHP研究所