山川 朝信(やまかわ とものぶ)は、安土桃山時代の武将・大名。下野国山川領主。

略歴

山川氏は代々結城氏の重臣であり、朝信は結城晴朝に仕えた。

天正18年(1590年)の小田原征伐後、豊臣秀吉に2万石の所領を安堵される。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に付き、結城秀康に従い上杉氏に備えた。しかし、慶長6年(1601年)8月、上杉氏と内通していたことが発覚して改易となった。同年、嫡男の山川菊松(朝貞・11歳)は結城秀康に従って越前に入国した。

その後は、晴朝の養子・秀康に仕えたという。嫡男の朝貞は、越前国吉田郡花谷(現福井県福井市北西部)1万7000石の封を得て重臣に列した。

脚注

参考文献

  • 茨城県史: 近世編p105

関連項目

  • 下野山川藩 - 朝信を藩主と捉える書籍がある。
  • 山川晴重/下総山川藩 - 山川朝貞は下総山川の領主であった山川晴重の子ともされる。

阿信寫真照片 第9張/共19張

寄り添い経営コンサルタント 山川 朝教 MOSH (モッシュ)

【悲報】NHKのソフバン×広島戦でガ〇マン山川現るwwww YouTube

山信の歴史を知る。今日に至るまでの山信 山信株式会社|採用ブログ

経済・物価への配慮、予算編成で「考えるべき」 朝川政策統括官 MEDIFAX web(メディファクス ウェブ) 医療の総合情報サイト